もっと自分のことを認めたい、自分の良いところを引き出したい!と思う一方で、
もっと変わりたい、今の自分には欠けているものを取り入れたい!と願うこと。
この一見相反する想いで、ここ数ヶ月私の頭の中はぐるぐるしていました。
そのなかで何となく見えてきたもの、これからも迷うことはあるだろうけど出来ればこうしていきたいなと思ったことがあるので記録しておきます。
1.過去の自分を否定しない
変化を望んで行動しているときって、「私はこんなこともできなかったんだ…」と自信を無くして落ち込んだり、「あのとき〇〇した(しなかった)からだ…」と、つい過去の自分の行動や、周囲の環境を責めたくなってしまいます。
でもその頃の自分も、自分なりに色々考えて、行動して、一生懸命生きようとしていて、その結果が今に繋がっているわけで。
ちょっと視点を変えてみると、「〇〇だったこそ、××出来た。その結果として今の私にはこんな個性や強みがある」という風に考えることも出来るのに、ひたすら過去の自分を否定して、責めて、いじめ抜くのは可哀想だし、そんなことをやっても未来の自分が幸せになれるとは思えませんよね。
本当に辛いのは、何かが足りないとか出来ないという事実よりも、そんな自分に対する自責の念かもしれない。
疲れたり凹んだりすることがあってもその感情を否定せず、「今までよく頑張ったね」とまずは自分を認めて労われるようになろう。— にゃんす (@nyansu_nyan) 2017年7月27日
過去に何が出来なかったかではなく、いま何がしたいのか、将来的にどうなりたいのか、を大切にしようと思います。
2.他人に正解を求めない
変わりたい!と思って行動すること自体は悪いことではないと思います。
でも、その原動力が「〇〇さんにこう言われたから…」とか、「努力してあの人を見返してやりたい!」等の、他人軸に合わせたものだとすごく苦しいです。
人によって評価基準はバラバラだし、一体何が正解なのか分からない。
自分の良さを認めて我を通そうとすれば、「素直じゃない、可愛くない、無駄にプライドが高い」等と言われ。
自分の至らないところを認めて改善しようと努力すれば、「人に流される、自分がない」と言われる。
じゃあ一体どないせぇっちゅーねん⁉︎と思ったけれど、どないするかは自分で決めることなんですよね。
人からの何気ない一言が変わるきっかけになることはあるだろうけど、最終的に決断して行動するのはあくまで自分です。
「なんとなく苦手なもの」に全力で向き合ってみる - 全力にゃんす!
変化に対して他人がどう評価するかを気にしてばかりいるより、自分の中にある「もっと新しい世界を知りたい!」という好奇心や、嬉しい・楽しい・面白いという感情を大切にして行動したほうが、ずっと豊かな時間を過ごせますよ。
3.自分の本音に耳を傾ける
「本当はどうしたいの?」と常に自問し、やりたいことはやり、やりたくないことはやらない。
シンプルなようでいて、実行していくのはなかなか難しい。
お金や時間がないことを言い訳にしないこと、人を信頼して任せてみること、自分を甘かやしても良いんだと許可できること、その他にも色々な考え方が必要になってきます。
あんまり考え込みすぎると、夕食のメニュー1つ取っても、「今日は自炊をして自分を褒めてあげたほうが良いのか、それとも外食して自分を甘やかしてあげたほうが良いんだろうか…」と悩んじゃって、「良いからとっととご飯食べて寝なよ!」と突っ込みたくなるので、適当にその場のノリとかで決めちゃうゆるさも大事にしようと思いますw
「自分の本音に耳を傾けて、やりたいことをやり、やりたくないことをやらない」ということを練習中なのだけど、いまいち抽象的で分かりにくかったので、もっとシンプルに「やり続けている内に自然と口角が上がることをやり、眉間にシワが寄ることはやらない」方向でやってみようと思う。
— にゃんす (@nyansu_nyan) 2017年7月28日
とりあえず、笑えば良いと思うよ!
最後に
なんとなく流れに身を任せて生きるのではなく、こうありたいと願い、行動を起こすことは、常にワクワクしたり、ポジティブな変化を生み出したりすることばかりではありません。
どうしても自分へのダメ出しがキツくなったり、良くも悪くも刺激を受け過ぎたり、本当は何がしたかったのか分からなくなってしまったり。
それでも、新たな発見があったり、少しでも自分に自信が持てたりと、良いなと思う瞬間が0.1秒でも増えると人生がより楽しく感じられるんじゃないかなと思って、動いています。
動けないから動かないんじゃない、動かないから動けないんだ - 全力にゃんす!
個人的には、自分という本屋さんの中に、今までの蔵書もあるけれど、新しいジャンルの本棚も増設してみました!くらいの気持ちでいきたいと思っています。