昨年のクリスマスの朝、恐ろしいくらい縁切り効果があると評判の、安井金比羅宮へ行ってきました。
安井金比羅宮
縁切り神社とは
嫌な人との関係だったり、病気や悩み事だったり。
自分を苦しめているものとの悪縁を断ち切って、新しく良縁を結びましょう、ということらしいです。
実際、ここの絵馬には、「○○に天の裁きを!」とか、「△△が私以外の女と別れますように!」とか、見ているだけでこちらの胃がやられそうな怨念のこもった願い事がみっちり書かれていました。
神社の効能以前に、絵馬に他人の住所・氏名・会社の部署etc.を実名で書いちゃう人の心が怖い。
人を呪わば穴二つ、ですよ。
なぜ縁切り神社へ行こうと思ったのか
ネットでこの神社の評判を見てみると、「勤めていた会社が倒産!代わりに良い会社に就職できた!」や、「彼氏の浮気が発覚!別れた後に今の旦那と運命の出会い!」など、あまりおだやかでない言葉の羅列。
そこまでして、幸せになりたいものなの?
特に恨みたい人がいるとかではありません。
でも、仕事にしろ人間関係にしろ、このままで良いのかな?と思うときがあって。
「周りに迷惑かけてまで、自分だけがのし上がろうとは思えない」というのは建前で、単に切る勇気がなかっただけだったんだと気がついて。
私と縁が切れたら不幸になるって思い上がりじゃない?というような気もしてきて。
私にとっては悪縁でも、誰かにとっては良縁かもしれない。
逆に私がその場に居座ることで、お互いの良縁を結ぶチャンスを奪っている可能性すらある。
そんなことを日々ぼんやり考えていたら、たまたま京都でイベントがあり、偶然泊まることになったゲストハウスが神社から徒歩圏内、しかも一緒に行ってくれる人まで前夜に見つかるというミラクル。
これは神社に呼ばれたということかしら…。
ここまで来ると、怖いとか言ってないで行くしかない!と腹を括りました。
実際に参拝してみた
まず、形代にお願い事を書きます。
(形代料は100円ほどお賽銭をお納めすれば良いとのこと)
こちらの縁切り縁結び碑の穴をくぐります。
写真で見ても、やっぱり怖い…。
この穴を往復することで、行きで悪縁を断ち切り、帰りに良縁を結ぶらしいです。
行きはすんなりくぐれましたが、帰りはしたたかに膝を打ち付けて悶絶。
良縁を結ぶのは困難ということなのか、今ある縁に文句をつけるのはおこがましいということなのか。
最後に形代を糊で貼り付けて終了。
この穴をくぐるために人が結構並んでいましたが、意外と皆さん和やかなテンションだったのでちょっと安心しました。
「こうありたい自分」との関係で縁を考える
参拝時には、「これで縁が切れたらそれまで。それよりもどんな縁を結ぶか。」ということしか考えていませんでしたが、神様に丸投げするのも良くないので、具体的にどういう縁を切りたいのか考えてみました。
そこで出たキーワードが「こうありたい自分」。
「理想の自分」にしちゃうと、高く設定しすぎて苦しくなってしまうので、自分の心身が健康ならば維持できる程度の「こうありたい」。
- 人に優しくありたい
- ご飯を美味しく頂きたい
- 動物に愛情を持って接したい
- 好奇心を持ち続けたい
- 小さなことにも感動したい
他にもたくさんありますが、どれも一見なんでもないようなことだけど、ちょっとバランスが崩れて余裕がなくなると、すぐに見失ってしまうこと。
そんな「こうありたい自分」に対して、人やモノ、場所がどう関係してくるか。
もし関わることで、「こうありたい自分」を保てない、近付けない、逆に遠ざかるような縁であれば、容赦なく叩き切っていこうと思いました。
諦めたくないから、手放す
- 人見知りだと、友達がいなくても仕方ないの?
- 長期休暇がないと、旅に出ちゃいけないの?
- 好きなことを仕事にしていたら、他のやりたいことは全部我慢しなくちゃいけないの?
私の「元人見知り、週6勤務の旅ブロガー」の原動力はこんな疑問から来ていて。
働き者こそよく遊べ!週6勤務でも旅に出るためのお金・時間・体力に対する考え方 - 全力にゃんす!
- 人見知りなら、誰とも会わずに引きこもっていればいい。
- 1泊2日程度の旅行じゃ何もわからないし、疲れるだけ。
- この仕事がしたいなら、寝食惜しんで勉強し、働くのが当たり前。それが出来ないなら、向いてない、辞めろ。
これは以前の私がずっと思ってきたことだし、今でも時々言われたりする言葉。
でも、色んな人や場所・価値観と出会うこと、職業人として生きること、その上で楽しむことを諦めたまま人生を終わりたくはなかった。
元人見知りが1人で旅に出るようになって感じた5つの内面的変化 - 全力にゃんす!
- 本当に人を好きになりたいから、微妙な人間関係を
- 本当に行ってみたい場所があるから、短期間では無理だという思い込みを
- 本当に好きな仕事を続けていきたいから、休むことに対する罪悪感を
これらを手放すことは、けっして冷たいことでも悪いことでもない。
最後に:悪縁を断ち切り、良縁を結ぶということ
私にとっては、
悪縁=「こうありたい自分」を阻害する人、モノ、慣習
良縁=自分が本当に好きだと思えるもの、自分の中の常識を良い意味で壊してくれるもの
お金も、気力・体力も、時間も、無尽蔵にあるわけじゃない。
自分にとって断ち切りたい悪縁とは何なのか、結びたい良縁とは何なのかを考えさせられました。